沼津に移住した旧幕臣は、苦しい生活の中にあっても子弟の教育には力を入れ、明治元年(1868年)9月、「代戯館」という学校をはじめた。添地にあった長屋を校舎にあて、ござをしき、黒板には雨戸を使うなど粗末なものであった。
12月には、沼津兵学校附属小学校に引き継がれ、日本最初の小学校とよばれる学校になった。生徒は7、8歳以上の士族、庶民の子弟であって、学科は算術・地理・体操・乗馬・水泳などがあり、後に英語・フランス語も加わった高度の小学校であった。
明治5年(1872年)、「学制」が定められ、この小学校は、「集成舎」という学校になった。その後、「沼津黌」などと何回も校名を変えながら、統合・分立・新設などをくりかえしつつ、現在の第一小学校や第二小学校に発展していった。
一方、明治6年(1873年)、集成舎から分立した集成舎変則科は、第二大学区第十四番中学校となり、その後、県立沼津中学校となった。しかし、この学校は明治19年の中学校令で、廃校となった。
その後、沼津を中心に東部住民の熱意によって、明治34年(1901年)、沼津中学校が楊原に新しく開校された。これが現在の沼津東高校である。
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