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沼津病院(駿東病院)が建てられる

2018年4月1日更新

沼津陸軍医学所=沼津病院(駿東病院)

沼津兵学校の設立にあたって、西周頭取は軍医を養成するため、明治2年(1869年)、城内字西条町に「沼津陸軍医学所」を開設し、杉田玄端を陸軍医師・頭取として招いた。これは、静岡の駿府病院とともに、わが国最初の洋式病院であった。

医師は頭取以下10余人、いずれも医学の権威者であり、設備はヨーロッパからはいってきた医療器械や解剖図・オランダ医学書が整備されていた。明治2年(1869年)、沼津陸軍医学所は、「沼津病院」と改称され、沼津とその近郷に移住した藩士とその家族の診療にも従事した。 また、当時、漢方医以外には医療施設のなかった一般民衆の救済の目的で、庶民の診療にも従事し、診察料はほとんど無料であった。明治7年(1874年)、会社組織に改めて「組合立会社病院」となり、その後、病院の組織にいろいろの移り変わりはあったが、名も「駿東病院」と改められ、その名声は高まっていった。 昭和20年(1945年)の閉鎖まで、民衆救済の精神が受け継がれ、これに起因する深刻な経営難と苦闘しながら、公益のためによくその使命を達成した。

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