東海道線の開通
政府が東京から京都までの鉄道を敷設することを決定したのは明治2年(1869年)のことだった。しかし、東海道にするか中山道にするかというルートの決定が遅れ、最終的に東海道案に決まったのは明治19年(1886年)7月のことだった。軍事的な観点から明治16年(1883年)には一旦中山道案に決定したのだが、静岡県をはじめ東海道沿線からの請願運動がおこったり、測量の結果山地の多い中山道では多額の経費がかかることがわかったので、一転して東海道ルートに変わったのである。
明治19年には静岡県でも早速工事が開始されたが、横浜から船で建築資材を狩野川河口に運び、それを沼津の市街地の工事現場まで運搬するという目的で敷設された蛇松線が最初の工事だった。明治22年(1889年)2月には沼津停車場がつくられ、4月には東京・京都全区間が完成した。原に停車場が設置されたのは、ずっと遅れて明治33年(1900年)のことである。
明治22年当時、新橋を6時10分に発車した汽車は、沼津に10時40分に着いた。明治24年では、沼津・新橋間の料金(下等)は86銭、沼津・静岡間は34銭だった。明治33年(1900年)の鉄道唱歌で沼津はこう歌われた。
「沼津の海に聞へたる里は牛臥我入道春は花咲く桃のころ夏はすずしき海のそば」
明治時代の沼津駅
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