縄文土器が使われる(大谷津遺跡など)
縄文時代は、大きく早・前・中・後・晩の5期(草創期を加えて6期とする場合もある)に分けられる。沼津に残る遺跡は、早期のものは多いが、前期になるといったん少なくなり、それが最も多く見られるのは、愛鷹山麓や内浦湾沿岸の縄文文化に代表される中期後半である。後期以降になると、遺跡の数はそれ以前に比べて非常に少なくなり、規模も小さくなる。おそらく各集落の人口も減少したであろうし、住居の移動も以前より多くなったのであろう。また,これらの遺跡の近くには必ず水流があることから、水があることがたいへん重要な条件であったことがわかる。特に愛鷹山麓には、わき水のあるところに大きな遺跡が存在している。
葛原沢第4遺跡出土
竪穴式住居跡縄文草創期
運動公園出土
縄文式土器縄文式土器
この時代になると、沼津の各地に多くの人々が生活を営んでいたことが、数多くの遺跡の発見によって知られている。人々は、愛鷹山麓や内浦・西浦方面の台地の水の便の良いところに、竪穴式の住居を構え、魚や獣、草や木の実をとって生活していた。縄文土器が使われ、表面に撚糸文・押型文・隆起文などの文様がついており、形も複雑なものが沼津の遺跡からいくつか見つかっている。石器もよく使われており、大芝原遺跡からは、黒曜石の矢じりや石斧などが出ている。この黒曜石は、箱根や長野県の蓼科方面や神津島からとってきたものといわれている。
遺跡からは、土器や石器とともに「クリ」「ミズキ」などの実が発掘され当時の人々の生活がしのばれる。
沼津には、この時代の特色の一つである貝塚は発見されていない。骨角器も少なく、口野の洞高遺跡から出土している程度である。多くみられるのは住居跡で、大谷津・大芝原・西大曲・尾上イラウネなどの遺跡から発見されている。
西洞遺跡出土石器群
休場遺跡出土細石器(加藤学園)
丸子町遺跡出土
滑石製模造品(丸子・浅間神社)元野遺跡出土植物種子
旧石器・縄文時代の遺跡地図
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