ここから本文です。

吾妻鏡

2018年4月1日更新

沼津という地名が文献に初めて記される

「吾妻鏡」(あづまかがみ)承元2年(1208年)閏4月2日の記事に「二日、辛未、神宮ヤ寺ノ造営ノ材木ヲ、伊豆ノ国狩野山奥ヨリ沼津ノ海二出ス」とはじめて文書のうえに沼津の地名があらわれている。沼津の地名は「沼津」の他に、昔狩野川のほとりに広く蓼が生い茂っていたので、「蓼原」ともいわれたようである。現在その地名が狩野川河口付近に残っている。そのころの狩野川の河口付近は水も深く、流れもゆるやかで港に適していた。そのため物資の集散地として、また漁港として発達していたようである。「東関紀行」(1242年)に、千本松原の沖に船が行き来していたようすが書きしるされている。

このページに関するお問い合わせ先

教育委員会事務局文化振興課

〒410-8601 静岡県沼津市御幸町16-1
電話:055-934-4812
ファクス:055-931-8977
メールアドレス:cul-sinkou@city.numazu.lg.jp

Copyright © Numazu City. All rights reserved.

上へ戻る