日蓮宗の寺で、開山は日安、文永年中に創建された。
寺伝によると、
「平維盛の子六代は、仏門に入り文覚の弟子となって妙覚といった。建久年間文覚の謀叛に連座して、相模国手越川原において誅せられたが、その臣斎藤六範房が、六代の首級を抱いて千本松原に至り、以前の擬刑の地に埋めて、ひそかに下河原に移り住み、朝夕香花をたむけて六代の冥福を祈った。
範房は正治2年(1200年)に伊豆にのがれ住んだが、再び沼津に来住した。その孫に当たる利安は、日蓮が来沼して法を説くのを聞き、これに帰依して名を日安と改め、自宅を精舎として、満松山妙覚寺と号した。満松はこの地の旧名で、妙覚は六代の法名である。日安は当寺の開山で延慶元年(1308年)11月12日に遷化した。」
と伝える。
宝物として、日蓮真筆の曼陀羅・消息文をはじめ、日昭・日朗・日進・日実筆の曼陀羅数幅があり、今川・武田両氏の朱印状などを残している。また、境内には、作家・井上靖が沼津中学時代ここに寄宿していた縁で、文学碑が造られている。
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