ここでは沼津市生まれの作家・芹沢光治良(こうじろう)について紹介します。
芹沢光治良映像作品のyoutube動画公開
2016年、芹沢光治良生誕120周年を記念し、市で制作した芹沢光治良紹介映像作品『芹沢光治良ゆかりの人・文学 その魅力を探る』を市公式動画としてyoutube上で公開しました。ぜひご覧ください。
また、この作品の上映会は、各地区からのご要望のありしだい、出前上映会等を行いますのでお気軽にご相談ください。
さらに、沼津市芹沢光治良記念館にて無料の貸出用DVDもご用意していますので、ご家族やご友人、所属されているグループ等で是非ともご活用ください。
「芹沢光治良ゆかりの人・文学ーその魅力を探る」(20分版)
『芹沢光治良光治良文学さんぽMAP』の配布
市内ゆかりの場所を掲載した地図を配布しています。こちらも併せてご利用ください。
漁師の子として沼津に生まれ育つ
芹沢光治良は、明治29年(1896年)5月4日、静岡県駿東郡楊原村我入道一番地(現在の沼津市我入道)に生まれました。
家は代々網元をしていた豪家でしたが、4歳のとき、熱心な天理教信者だった父母が本格的な伝道生活に入るという理由から家業を捨て故郷を去ったので、残された光治良は祖父母や叔父・叔母の元で貧しく育てられる身になりました。
小学校入学以前から孔子の『論語』を暗唱できるほどの頭の良さから神童といわれ、県立沼津中学校(現在の県立沼津東高等学校)では特待生でした。この頃、文芸雑誌『白樺』を読み、フランス文化に憧れるようになります。
東京、フランスで学ぶ
大正5年(1916年)に旧制第一高等学校(現在の東京大学教養学部)仏法科をへて、東京帝国大学(現在の東京大学)経済学部経済学科に入学しました。
大正11年(1922年)、東大卒業後、農商務省(現在の農林水産省、経済産業省)に入省しましたが、3年後28歳のときに結婚、新妻を伴ってフランスのパリ大学に留学し、貨幣論を研究しました。
フランス滞在3年間に、三木清、佐伯祐三、椎名其二、ルイ・ジューヴェ、マリー・ベル、ガストン・バティ、シャルル・デュラン、アンドレ・ジッド、ポール・ヴァレリーなど、多くの学者、作家、俳優や画家といった文化人と広く交流し、自身の作家としての芽を育てます。
帰国して作家になる
パリ大学卒業間際に肺結核で倒れ、フランスやスイスの高原療養所で病を癒し、昭和3年(1928年)に帰国しました。
2年後の昭和5年(1930年)、33歳の時に「ブルジョア」が雑誌『改造』の懸賞小説に一等で当選。『東京朝日新聞』において、正宗白鳥らの絶賛を受けました。
その後、数多くの作品を文芸雑誌、新聞や婦人雑誌などに寄稿し、精力的に執筆しました。
結核罹患体験を基にした『巴里に死す』(昭和18年刊)、天理教教祖に関する『教祖様』(昭和34年刊)や自身の生い立ちにそって日本の時代背景を描いた大河小説『人間の運命』(全3部14巻、昭和37年~昭和43年刊)などの代表作を完成させます。
国際的な評価が高まる
国内では、長年の作家活動や社会的活動の功績により芸術選奨文部大臣賞、勲三等瑞宝章、日本芸術院賞などを受賞しました。
『巴里に死す』などの作品がフランス語訳されると、昭和31年(1956年)にベルギーの読者クラブ賞次席を獲得したことに始まり、昭和34年(1959年)にはフランス詩人連盟からフランス友好国際大賞を授与されるなど、海外での評価が高まり、昭和44年(1969年)にはスウェーデンアカデミーよりノーベル文学賞推薦委員に選ばれ、78歳の時に日本とフランスの文化交流の功労者として、コマンドゥール(フランスの芸術文化勲章)を授与されました。
日本文学の国際的普及に尽力する
本業の文筆活動に勤しむ一方で、日本文芸家協会や日本ペンクラブに所属し、社会的な活動として言論の自由や表現の自由、文筆家の権利擁護などの実践活動をしていきました。
晩年には、日本ペンクラブ会長、日本文芸家協会理事(渉外委員長)、ノーベル文学賞推薦委員、日本芸術院会員など数多くの役職を歴任し、日本文学を世界に広めることに尽力しました。
昭和45年(1970年)には、生誕地である沼津市我入道に芹沢文学館(現在の沼津市芹沢光治良記念館)が建設され、昭和55年(1980年)、数多くの功績が認められ、沼津市名誉市民となりました。
- 日本ペンクラブ電子文藝館(外部リンク)
日本ペンクラブによる、会員の作品を読めるサイトです。
光治良の作品のうち、「ブルジョア」「大鷲」「死者との対話」全文をお読みいただけます。
最期まで執筆する
晩年は、89歳のときより『神の微笑』から始まる「神シリーズ」と呼ばれる一連の作品を毎年一冊ずつ書き下ろし、特に神と魂の救済について深く追究しました。
ふだんどおり原稿執筆の後、平成5年(1993年)3月23日午後7時、老衰のため、東京都中野区東中野の自宅において逝去しました。96歳でした。
33歳で作家デビューを果たしてから、実に63年間、亡くなる直前まで執筆活動を精力的に続けました。
沼津市中瀬町にある市営墓地に眠っています。
このページに関するお問い合わせ先
沼津市芹沢光治良記念館
〒410-0823 沼津市我入道蔓陀ヶ原517-1
電話:055-932-0255
メールアドレス:kojiro@city.numazu.lg.jp