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芹沢光治良

2024年4月1日更新

芹沢光治良の写真

芹沢光治良(1896年~1993年)


作家。
明治29(1896)年、駿東郡楊原村(現・沼津市)我入道生まれ。
沼津中学校(現・沼津東高等学校)、第一高等学校(現・東京大学教養学部)、東京帝国大学(現・東京大学)経済学部卒。
農商務省(現・経済産業省、農林水産省)官吏を経て、フランスのパリ大学へ留学。
帰国後、昭和5(1930)年、留学中の体験を基に創作した小説「ブルジョア」が懸賞小説に一等当選し、執筆活動に入る。

「巴里に死す」、「一つの世界」(後改題「サムライの末裔」)、「愛と知と悲しみと」、「人間の運命」などを発表、国内外で高い評価を受ける。
昭和40(1965)年、第5代日本ペンクラブ会長に就任。
昭和44(1969)年、大河小説「人間の運命」に対して日本芸術院賞を受賞。
昭和45(1970)年、日本芸術院会員となる。芹沢文学館(現・沼津市芹沢光治良記念館)開館。
昭和55(1980)年、沼津市名誉市民の称号を贈呈される。
平成5(1993)年3月、東京都中野区東中野の自宅において老衰のため逝去。96歳。市営墓地内(沼津市中瀬町14‐1)に眠る。

大河小説「人間の運命」は、作者の故郷沼津を舞台に、主人公・森次郎の沼津中学時代から物語が始まる。次の文章は、次郎が香貫山から沼津を眺め、故郷の美しさを知る場面である。

〈わが住む土地を、次郎は初めて他処の土地のように眺める思いで、目を見張った。眼下にひろがったパノラマの中央に、足下の山麓から駿河湾へ、白く光って大きくS字形を描いているのが、あの狩野川であろうか。こんなにも川幅が広く、まんまんと水を張っているとは知らなかった。その右岸にかたまって見える静かな家々が、沼津の町であろうか。〉
 (「人間の運命」第一部第一巻父と子、昭和37(1962)年、新潮社)

芹沢光治良が「少年の日にしばしば独り立って、水平線を眺めて自ら慰めた」場所に建てられた風に鳴る碑。碑文・詳細は以下

風に鳴る碑

「幼かりし日 われ
父母にわかれ 貧しく
この浜辺に立ちて 海の音
風の声をききて はるかなる
とつくにを 想えり
一九六三年 芹澤光治良」


「人間の運命」第一部第四巻発行後の昭和38(1963)年春、沼津中学校有志らにより、千本浜公園内の井上靖文学碑と同時に、我入道海岸に建立された最初の芹沢文学碑。


孤絶の碑といわれる文学碑。碑文・詳細は以下

孤絶の碑

「ふるさとや
孤絶のわれを
いだきあぐ
八十五翁 光治良」


名誉市民となった2年後の昭和57(1982)年、市が我入道海岸に建立した文学碑。

このほか同じく我入道には生誕碑や、我入道連合自治会館壁面に詩碑がある。また、沼津市民文化センター、沼津市立第三中学校、県立沼津東高等学校にも文学碑がある。

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