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清梵寺

2007年7月1日更新

平安時代の初め頃、安房の国に得萬長者という信心深い人がいた。ある時朝廷から召され京都から帰郷の途中、原宿に立ち寄りそこで長旅の疲れから病気となり、亡くなった。従者は長者の遺言に従い、大きな塚を築いて手厚く葬った。
その後長者の妻は出家して梵貞尼と名を改め、原宿の夫の墓に詣でたとき、近くの網元の家で休んでいると、その網元が生前夫が信心していた地蔵尊を網にかけて持ち帰った。梵貞尼の孝貞に心打たれた網元も出家して清信禅居士と名を改め、梵貞尼と力を合わせて堂を建て地蔵菩薩を安置したという。 そしてこの地に、山号を得萬山と号し、清信、梵貞の2字をとった清梵寺を建てた。
これが大塚のいわれと清梵寺の縁起である。
この大塚は、昭和34年(1959年)に当時の原町教育委員会によって調査されたが、原地区ではこの古墳が一番大きく、発掘の結果から埋葬施設をもたない低墳丘の古墳で、おそらく平安時代頃(8世紀)のものであろうと推定されている。

  • 清梵寺本堂

    清梵寺本堂

  • 木造地蔵菩薩坐像

    木造地蔵菩薩坐像

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