沼津市千本浜の首塚と関東地方の中世日本人頭骨
「沼津市千本浜の首塚と関東地方の中世日本人頭骨」 鈴木尚
人類学雑誌 第97巻 第1号 別刷 平成元年
埋葬された遺体の総数
骨片を側頭骨岩様部に着目しつつ左右に分類すると、右98個、左105個である。
これは最小限105体の遺骨があったことを示す。
当初はその2倍~3倍の遺体が埋葬されたことであろう。
(埋葬以来300年以上が経過し、明治33年に改葬された際に失われものもある。)
性別
右側の側頭骨:男性(70.4%)、女性(29.6%)
左側の側頭骨:男性(62.8%)、女性(37.2%)
左右の平均:男性(66.6%)、女性(33.4%)
年齢
全て成人である。大多数は青年で、老年及び幼少年は全く認められない。
(町ぐるみの合戦、籠城でなく)野外の合戦だったからであろう。
総括
- 沼津千本浜の首塚が形成された時代は人骨の研究に基づくと、伝説の通り、室町時代中期から戦国時代にかけての合戦による戦死者と見なされる。遺体は合戦が終わると、直ちに埋葬されたが、その数は少なくとも200体に達したことであろう。
遺骨は永い年月の間、海浜で風雨波浪に曝され、明治の改葬の頃は、人骨の多くが破片となって海浜に散乱し、ごく一部の遺骨だけが、埋葬当初のまま埋まっていた。改葬時、頭蓋骨が重点的に現在の首塚に移された。 - 発見された遺骨の2/3は男性、1/3は女性と判断され、彼らは成年が主体で、熟年は少数、老年と幼少年はない。
- 人為的損傷
頭骨には穿孔されたと思われる大小の円孔があったが、天正年間に千本浜で起こった武田・北条氏の合戦(北条五代記)に際し、種子島銃、矢、槍によるものと思われる。
本首塚人のあるものは、遺体から頭皮が剥がされている。同じ行為は新田義貞の鎌倉攻めの際、悪性の病の治療の目的で、性別、年齢に関係なく行われた疑いがあるが、本首塚ではある特殊な男性が目標となった疑いがある。
本首塚人の頭骨の中に、鋸で断ち切られたと推定されるものがある。意図は不明であるが、脳摘出の疑いがもたれる。 - 頭骨形質
本首塚の形質を人類学的に研究した結果、これらは中世の日本人と見なして、全く矛盾がない。
いま、千本浜首塚人を含め、鎌倉材木座遺跡、市原町梁瀬八幡平首塚、江戸崎町古城西遺跡から発見された人骨をもとにして、中世日本人の頭骨形質の平均型を総括すると、長頭型または中頭型、低顔型、低眼窩型、扁平鼻根、広鼻型を具えていたと考えられ、鎌倉材木座発掘の頭骨形質は、中世日本人の典型とみて差し支えないようである。
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