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プチャーチン宿所 宝泉寺(ほうせんじ)

2017年10月12日更新

プチャーチン宿所 宝泉寺 地図

安政元年(1854年)12月7日より安政2年3月22日までの105日間、ロシア使節プチャーチン提督及び皇族アレキサンドル・スリゲート殿下や上官の宿舎にあてられ、宝泉寺本堂及び庫裡を全面的に使用した。プチャーチンは、本堂の左側の奥の間を居室に、スリゲート殿下は本堂右側の奥の間に滞在したという。食事は庫裡でとり、現在の本堂は当時のもので、庫裡は昭和43年再建した。プチャーチンはここで日露の交渉や造船の指揮を執り下田へも出張した。境内にはロシア水兵の墓碑がある。これは滞在中に病死した若き水兵ワリシー・バケエフとアレクセイ・ポトチキンの二人を祀ったものである。昭和44年6月、当時の村長山田三郎氏が、村立造船郷土資料博物館の設立に際し、「露国人之墓」一基を建立し、ソ連大使一行を招き除幕式を行い、日ソの友好を深めた。

昭和56年10月に県の史跡に指定されている。

プチャーチン宿所 宝泉寺

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