日蓮宗の寺で、開基は山本重安、開山は日蓮の弟子中老僧日実である。日蓮真筆の十界曼陀羅3幅を本尊としている。
寺伝によると、
「正嘉2年(1258年)1月6日、日蓮は駿河国岩本の実相寺に蔵されている一切経を閲覧するため、鎌倉を発足したが、8日夕刻には沼津宿の海浜にあった一草堂に宿を取った。
里人がその翌早朝、海に出かけようとして沖を眺めたところ、海辺の老松の上に灯りのような光り物が上下する光景を見て非常に驚いた。そこで里人は大勢を呼び集めて浜辺に来てみると、例の草堂に見知らぬ一僧侶が一心に読経三昧に入っているのに、再び驚きの眼をみはった。
その僧の風貌が常人と異なるのを察して、この地方が年々津波に苦しめられているのを訴え、災いよけの祈祷を請うたところ、上人は静かに一座の法筵を修したが、その後この地方には津波の災厄が絶えた。
この因縁で、日蓮は後年伊豆流罪の時や、身延隠棲の間も、しばしばこの地に遊行していたが、当時船主であった山本重安(法名は日安)及びその妻(法名は日専)は日蓮に帰依し、自己の屋敷を提供して一寺を開創し、中老僧日実を請じて開山とし、八大竜王万年守護山妙法蓮華虚空海会寺を略して竜王山妙海寺と称した。」
と、伝えている。日蓮宿泊当夜の因縁を以て、毎年正月7日より8日にかけて法会を行い、当寺創立の事情を伝え、世人もこれを八日堂と呼んでいる。
戦国時代に今川・武田の戦禍を受けたが、のち武田信玄の朱印状を得て復興した。その後、数次の火災や震災を被ったが、檀・信徒の協力によって再建された。
当寺には京都深草の元政上人銘の釣鐘があったが、第二次世界大戦中に供出した。また、日蓮真筆の曼陀羅3幅をはじめ、今川・武田・北条氏の朱印状などを蔵している。また、当寺の木造釈迦如来坐像は、昭和50年5月に市の有形文化財に指定されている。
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