安政年間、来日中のロシア使節プチャーチン提督は、安政東海大地震の被害により、座乗鑑ディアナ号を失い、代鑑建造地の戸田に滞在していた。幕府は先に締結した和親条約(第6条、領事駐留)改訂のため、勘定奉行川路左衛門尉聖謨を全権として戸田へ出向かせた。川路は大行寺を応接所に当て改訂交渉を行った。(川路の下田日記)その後、大行寺は2回の大火で類焼し、当時の記録は建物とともに失われ現存していない。現在の建物は、旧水野領の名主・斎藤本家(入浜)を移築したもので、宝泉寺本堂につぐ旧戸田村内古建築と推定される。建坪63坪余、書院造りの面影が窺える。なお、この寺にはヘダ号建造時の船大工で、後に造船技術者として活躍した上田寅吉の墓がある。
平成18年3月に日露交渉地跡大行寺として、市の史跡に指定された。
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