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文学・芸術

2022年4月1日更新

沼津の芸術・文学風土

風光明媚、気候温暖な土地柄もあって、沼津には多くの文人・墨客が訪れ、別荘を設けたり、中には定住して文筆活動を行うなど、明治以降の沼津には、芸術的、文学的な風土が培われてきたといわれます。今でも沼津には、当時からの文学碑や文学館が数多くあり、市民の間にも、その伝統を大切にする気持ちが根づいています。

明治26年、沼津に御用邸が造営されると、政治家や文人、実業家などの別荘が市内につくられるようになり、その人たちの沼津への往来も多くなりました。
また、当時の東海道線は、蒸気機関車の時代であったため、石炭や水の補給などで沼津駅の停車時間が長く、この時間を利用して旅行者が、沼津の街の見物や食事などを楽しんだということです。
大正から昭和にかけて、若山牧水が沼津を永住の地に選び、毎年夏には数々の童謡の名作で知られる本居長世が沼津に滞在したほか、北原白秋や与謝野晶子などが、たびたび沼津を訪れています。
大正期に活躍した作詞家、勝田香月は市内本町の生まれで、彼の名作「出船」の歌碑は、本居長世の「残り花火」の碑とともに、港口公園に建てられています。
また、富士市生まれの版画家・山口源は、沼津市江浦にアトリエを構え、海岸に流れ着いたものを素材にした抽象版画を中心に創作活動に没頭しました。
このほかにも数多くの文学碑などが市内の各所にあり、沼津を愛した文人たちの足跡を偲ぶことができます。
これ以前には、江戸中期に膨大な書画を残したことで知られる禅僧、白隠慧鶴が原宿から出ています。白隠禅師は臨済宗中興の祖として、富士山と並び讃えられますが、地元では「白隠さん」と親しみを込めて呼ばれています。出家し、また長年住職を務めた松蔭寺などゆかりの地をもとに、その足跡を辿ることができます。

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