沼津駅前通り、現在の城岡神社付近にあった水野藩の殿舎(沼津城二の丸)を利用して沼津兵学校が設けられた。
最初は徳川家兵学校と称し、後に沼津学校とも呼ばれた。明治元年(1868年)将軍家の駿府70万石への移封が決定されると、江戸幕府が残した厖大な書跡・器械や優れた人材の活用を図るため、旧幕府陸軍の幹部を中心に兵学校設立の準備が開始された。
その計画は阿部邦之助が立て、江原素六の協力によって進められたという。明治元年12月に学校の組織・規則を定めた「徳川家兵学校掟書」「徳川家兵学校附属小学校掟書」が制定され、明治2年正月に開校した。
初代頭取には当代第一の啓蒙学者といわれた西周が招聘され、欧米の近代的学問、文化を採り入れ、その水準は当時の最高を示すもので、全国から優秀な人材が沼津に留学した。特に語学と数学はすぐれ、各学科の質の高さは全国的な評価を受けた。
生徒は原則的に静岡藩士に限られたが、員外生として福井・徳島などの他藩からの留学生も受け入れた。また、同校の予備教育機関として設けられた附属小学校は、近代的小学校の先駆といわれている。
これら先進的な学校制度や優れた教育内容は、全国的にも注目を集め、他藩にも影響を与えたが、廃藩置県後の明治4年(1871年)9月、兵学校は兵部省の管轄となり、明治4年12月には陸軍沼津出張兵学寮と改称され、陸軍兵学寮の分校となった。 そして、明治5年(1872年)5月には東京本校に合併・吸収され、ついに廃校となった。現在城岡神社境内に明治27年(1894年)9月、徳川家旧臣によって建てられた沼津兵学校の碑と、昭和15年(1940年)、沼津兵学校創立70周年を記念し、当時沼津郵便局横に建てられたこの碑が、その後移設され建てられている。
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