江戸時代に築かれた江戸から数えて29番目、およそ30里の一里塚は日枝神社の旧参道入口にあった。現在は公園として整備され、2代目の榎が植えられている。
一里塚
江戸時代の初期(慶長年間)、幕府は交通政策の一環として主要街道の整備を行い、従来の6町1里を36町1里に改めた。そして、街道1里ごとに道路の両側に塚を築き、その上に榎を植えて旅人の標識とした。
日枝神社の旧参道左側の小丘は、旧沼津宿の面影を残している唯一の一里塚跡で、もとは反対側の狩野川の方にもあったと思われるが、現在はない。江戸からこの一里塚までの距離は、30里9町ある。ここに植えられた榎は、つい近年まで残っていたが、枯死してしまい、新しい立木に植え替えられている。
玉砥石(たまといし)
古い文献によれば、古墳時代(1000年~1500年前)この地方に装身具の玉類を作るのを業としていた人たちが住んでいた玉造郷という村があったといわれ、この石は、その人たちが玉を磨くのに使用したものと思われている。この大小二つの柱状石には数条の直線的な溝があり、これは古代に玉を磨いた痕跡であると伝えられているが、詳細は不明である。
一里塚公園内にあるこの玉砥石は昭和31年5月に県指定有形文化財(考古資料)に指定されており、近くには式内社(延喜式記載の古社)の玉造神社がある。
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