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西附属邸 概要

2021年5月14日更新

西附属邸建物外観

西庭から見た建物外観
(左奥より御玉突所、御座所、謁見所)

西附属邸は明治38年、皇孫殿下(昭和天皇、秩父宮、高松宮)の御用邸として設けられたことに始まります。その後数回の増築が行われ、大正11年には現在の形になりました。松林に囲まれた約、10,000平方メートルの敷地に建つ総面積1,270平方メートル、部屋数26室の木造平屋建て和風住宅です。

昭和20年7月の沼津大空襲によって本邸が焼失した後は、この西附属邸が本邸の役目を果たすようになり、昭和天皇をはじめ、多くの皇族方 に利用されてきました。

しかし環境の変化や交通体系の変革、施設の老朽化などにより、昭和44年沼津御用邸は廃止され、沼津市に無償貸与されました。同44年、「沼津御用邸記念公園」として都市計画決定され、翌年の45年開園。市民の憩いの場として利用されてきました。しかし建物のいたみも目立つようになったことから、旧御用邸建物の改修と庭園の再整備を、沼津御用邸造営百周年、市制70周年に当たる平成5年から本格的に行いました。平成5~7年にかけて西附属邸が、同8~10年にかけ東附属邸の改修が行われ、面目を一新しました。この再整備の中で西附属邸を中心に「歴史の庭ゾーン」として位置づけ、建物の主要部分と庭園の整備を行いました。改修に当たっては素材やデザインなど可能なかぎり原形に忠実に再現し、建物はもちろん、建具、照明機具、釘隠しなどの飾り金具から家具に至るまで、さまざまな史料を参考にしてかつての姿に復元しました。

この建物は一見質素に見えますが、使われている材料はいずれもよく吟味された素晴らしいものです。造作も手が込んでいて丁寧に作られており、今では失われてしまった伝統的な技法を随所にとどめています。また沼津御用邸は公式な部分と居住部分が一体となった大規模な住宅建築として貴重な例でもあり、明治時代の大規模な木造住宅の遺構が少なくなっている現在、建築史的な価値も高いといえましょう。

西附属邸玄関外観

玄関外観

このほか当時使われていた家具備品も保存されており、建物の使われ方や暮らしぶりを知ることが出来る点も興味深いところです。当時の家具はいずれも明治時代に作られたもので、わが国の宮廷家具としてもっとも代表的なものであり、歴史的にも重要なものであるうえ、工芸美術的にも水準の高いものです。和室の畳敷きの上に絨毯を敷き、椅子、テーブルを使用するという和洋折衷方式は皇室関係の建物によく見られる習慣で、西附属邸でもこのような住まい方がされていたことがよくわかります。

西附属邸は近代日本の歴史の一端を語りかけてくれる貴重な文化的遺産といえるでしょう。

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